公田連太郎先生について

  公田連太郎という人は、たいていの図書館には架蔵している著名な本、『易経講話』全5巻の著者で、大昔の漢学者だという位の知識しかなかった。

 しかし、たまたま手にした辻双明『禅骨の人々』(春秋社)では、おおよそ90頁を割いて公田連太郎を紹介していて、著者が垣間見た彼の面貌が丁寧に描写されており、そこにうかがえる真摯で求道的な学問態度には感銘を受ける。

 公田連太郎(1874~1963)は、いわゆる学界からは一線を画したところで学究人生を送った方であり、人からサラリーを受けたのは人生のなかのホンの短い期間だけであって、それ以外は友人や理解者の支援、あるいは著述や古典の講義によって生きた人である。

 執筆活動に入られる以前の、お若いころの生活については、辻氏の本では詳しいことが書かれていないが、あちこち流浪の生活を送っていたらしい。英語もできた方のようで、陸軍省の役人の自宅に寄食し、英語の家庭教師をしていた時期もあったようだ。

 その期間に、漢学者・根本通明や南隠禅師(※1)に師事し、益友と交わり、早稲田大学の講義をもぐりで聴き、学問に励んだようである。根元通明は秋田藩の元藩儒で『周易』の専門家であり、「周易は根本なり、根本は周易なり」とまで称えられた人物。

 公田連太郎の業績のなかで、とりわけ多くの後進を裨益しているものに、『国訳漢文大成』シリーズに収録されているところの諸々の訳注がある。

 公田連太郎が訓注を担当したものは下記の通りである。

 『国訳漢文大成』

管子
史記本紀
史記表
史記書
史記世家

 『続国訳漢文大成』

二十二史箚記
資治通鑑
貞観政要
宋名臣言行録
読通鑑論

 『国訳漢文大成』シリーズ全88巻中、実に31巻を公田が担当したという。凄い根気と集中力であると言わざるを得ないが、晩年に至るも、年間800巻以上の量の漢文を読んでいたという底知れぬ学力を有していた公田にしてみれば、「大した仕事ではなかった」のかも知れない。それにしても年に800巻というのは、稀代の学僧・無著道忠和尚でも一年に7、80巻ほどだから、驚異的な博覧ぶりと言える。浅学私の如き、これほどの量を読みこなすのにいったい何年かかるだろう。

 公田はこのシリーズ以外にも、「詳解漢文翻訳叢書」、「兵法全集」、「至道無難禅師集」、「荘子内篇講話」、「荘子外篇講話上」など、幅広く手掛けられている。

 明治、大正生まれの、経書の素読から鍛え上げた世代には、やはり、逆立ちしても敵いそうにない。

 この世代は、大部分の学者は中国古典文を日本語の語順に従って読む、いわゆる「漢文訓読法」で読んでいたと思われる。この「訓読法」、中国文は中国語で中国音で読むべし、とする「直読法」の学者からは、「訓読の歴史は誤読の歴史である」、或いは、ニュアンスを正確に把握しきれない云々と、読解の点から難をつけられることがある。

 では、同じく「訓読法」で読んでいたと思われる公田の場合、その読解力如何はどうであったろうか?わたしはそれを云々する資格がないが、少なくとも「直読法」の代表選手と言っていい吉川幸次郎(※2)は、

 数年前、(公田連太郎)先生の訳による『資治通鑑』を、ただ一巻だけであるけれども、ある必要から、精細に読んだことがあった。そして全く一つの誤読をも見いださなかった。

 と、その読解力に対して、推服の辞を惜しまない。

 吉川は文を続けて、

 以上のようなことをいうのは、大先輩である先生に対し失礼であるとする人があるかも知れない。しかし私があえて、このことをいうのは、理を折し史を叙べる点において、私の推服する先輩はたくさんいられる。しかし書を読んで正確なること先生の如きは、必ずしも、あまねく人々のもつ能力ではないからである。

 善く書を読むとは、文章の外面の韻律、内面の心理を、細かに味わい分けつつ読むことである。いいかえれば、すべての文章につき、その内在する詩的要素を重視しつつ読むことである。漢籍を読むにはそれが大切である。何となれば中国の文献は、みな、それぞれに詩的要素を内在するからである。

 そういう風に漢籍を読むことを、江戸時代の学者は、常に修練し、一つの伝統を形成していたと思われる。明治以降のいわゆる「東洋学」は、他の面ではいろいろ進歩を示したが、この伝統的な能力は、かえって低下したとみとめられる。それを保持する稀有の何人かの中の一人で、先生はある。そのことは、このたびの『荘子講話』にも示されている。(P23‐24)

 言葉のリズムを大事にする吉川幸次郎らしい指摘である。

 公田連太郎はこのように、漢学に関して繊細な語感と、広範な教養を備えていたが、単なる漢学者として扱われることをあまり好かなかったようである。

 辻双明氏は「わたしは漢学者じゃありませんよ」とハッキリ、鋭い語調で言われたことがあるそうである。公田は、もともとは禅僧になりたかったのだそうだ。だから『禅骨の人々』のなかに紹介されているのだが。

 辻氏は、公田連太郎の学問について以下のように述べられている。

 先生の「学」について、遥かの遠方から望み見て思われることの一つは、その「学」が、どこまでも自らの人間形成の欲求・願望と密接に結びついているということである。それは自己から遊離した「学」ではなくて、一瞬一瞬、自分自身を形成していく真剣な彫刻のような「学」であるということである。

 生涯にわたる愛読書は『論語』と呂新吾『呻吟語』であった。

 『呻吟語』といえば、かの大塩中斎が思想的回心を得た書物としてあまりにも有名。公田自身が訳注(訓読と注釈)を付したものが、本邦唯一の全訳として明徳出版社から出ているので、財布と相談しつつ入手したい。いずれ書評をアップするであろう。

※1南隠禅師…渡辺全愚。幕末-明治時代の僧。天保(てんぽう)5年生まれ。臨済宗。羅山元磨(らさん-げんま)の法をつぐ。明治17年山岡鉄舟の招きで東京谷中の全生庵にはいる。のち白山の竜雲院にうつった。明治37年11月24日死去。71歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。号は南隠。

※2吉川幸次郎…昭和時代の中国文学者。明治37年3月18日生まれ。狩野直喜(かの-なおき),鈴木虎雄(とらお)に師事。北京大で清朝(しんちょう)考証学をまなぶ。帰国後,東方文化学院京都研究所員をへて昭和22年京大教授。古典の奥ふかい解釈で日本での中国文学研究に貢献した。44年文化功労者。芸術院会員。昭和55年4月8日死去。76歳。兵庫県出身。京都帝大卒。字(あざな)は善之。著作に「新唐詩選」(共著),「杜甫(とほ)私記」など。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 11

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い
ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

林田明大
2009年03月21日 17:17
 いい記事を公開してくれて、本当にありがたいし、面白い。
 これこそ、自分のためであり、他人にも喜ばれる、まさしく自利利他のブログです。
 公田連太郎先生の名前には聞き覚えがありますが、著書を読んでいるかどうかは、記憶にありません。書名に魅かれて読みますので、どうしても著者の名前は二の次となり、あまり記憶に残りません。ですから、後で、「ああ、あの本は、あの論文は、○○さんの書いたものだったのか」という風に気づくことが多いものです(笑)。荻生さんの論文も、かつて図書館でコピーして結構読んでました。その名前を意識したのは、亡くなられてからです。残念。
静観子
2009年03月21日 20:55
 過分なお言葉を頂き、ありがとうございます
 わたしも公田先生についてはほとんど知りませんでしたが、辻双明氏の本によって蒙を啓かれた次第です。こんな方がいらっしゃったんですねぇ。この先生は、中国の尊敬する学者として、周濂溪・程明道・呂新吾と並んで、王陽明と王龍渓を挙げてらっしゃるので、陽明学にも造詣が深い方であったはずですよ
味噌煮
2011年04月03日 07:09
静観子さま
大変勉強になりました。ありがとうございます。吉川先生の言葉はどの文に出ているのでしょうか。全体を読んでみたいのですが、ご教示いただけないでしょうか。
味噌煮
2011年04月03日 08:24
失礼しました。『荘子講話』の推薦文、と辻氏が書いておられるのに気づきました。
静観子
2011年04月03日 12:25
お読み頂きありがとうございます!あれだけ中国語による直読を主張した吉川先生が明治の漢学者をこれだけ評価するなんて確かに珍しいことですよね。

この記事へのトラックバック